セックスレス解決に足りてなかった視点

自分なりに問題と向き合ってみて何がいけなかったのかを整理してみた結果、気付きがあったよという話です。

我が家では妻が二人目の子どもを妊娠してからセックスに応じてくれなくなり、気がつくと8年近く経っていました。

子どもがいるとなかなかそういう空気にならないのは仕方ないことですが、まれにチャンスがあっても「眠い」「疲れている」「休ませてほしい」と言われるばかりで、そうなると強要することが加害ともなりかねないとそれ以上は話が進まないままにフラストレーションを溜め込み続けました。

セックスの話をするときに、どうしても「気持ちがいい」という言葉が頭の中に支配的になります。

実際、妻と話し合う上で、どうしてそんなにセックスがしたいのかを説得するときに大きな戸惑いとなりました。

そんなに難しい話ではないかもしれませんが、でも、どうしてしたいのかを考えた時、「気持ちよくなりたい」「気持ちよくしたい」以外の理由にはなかなか行き着けなかったのです。

誤解のないように書きますが、ただセックスをしたいのではなくて、妻とセックスがしたいからこそ悩みました。

他人とのセックスが浮気になるとか、そういうことは問題にはしていません。

その時点で、「気持ちよくなりたい」という理由に対して少くない矛盾が生じました。

ただ気持ちよくなりたいなら誰でもいいはずで、妻を気持ちよくさせたいという気持ちでさえ、相手が望んでいなければただの押しつけになります。

なのになぜ自分は、これほどまでに妻とセックスがしたいのでしょうか。

頭をかきむしりたくなる気持ちで妻とのセックスを渇望しているの自分が不思議でなりませんでした。

ここまで結論をもったいぶっているわけではなく、このジレンマとも言えるような気持ちに多少なりとも共感してもらってから話を進めたかったということをご理解ください。

そうして考えて考え抜いた結果にたどり着いた視点が、セックスは「嬉しい」ことだということでした。

そんな当たり前のこと?と思われるかもしれません。

それくらいに気づいている人には当たり前のことなのでしょう。

でも、自分はそれに気づくまでに実に10年近い時間を要しました。

自分が妻とセックスをしたいと渇望する理由は、この「嬉しさ」を二人で共有したかったからなのです。

「気が乗らないけど、そんなにしたいならいいよ」と言われたこともありました。

でも、それは違うような気がして断りました。

自分も気持ちがよいし相手も気持ちが良いはずなのになぜなのでしょうか。

無理やりさせてもらっても自分が惨めになるとかそういう気持ちがなかっとは言いませんが、何かもっと、自分が満たしたいものとは違うような気がしていました。

妻以外とのセックスは、不思議と望もうとはしませんでした。

そのセックスに自慰行為との違い以上のものが見いだせなかったからです。

それでも当然自慰行為では満たされません。

そうして考え抜いた結果にたどり着いた結論が「嬉しさ」でした。

きっかけがあったわけでも運命的な啓示があったわけでもありません。

あくまで仮説でしかありませんでしたが、色々と照らし合わせて考えてみると納得できることばかりでした。

例えば、自分が他人とのセックスにそれほど興味がないのも、この「嬉しさ」が実感できる気がしなかったからなのだと考えれば納得でした。

この仮説を元に、妻ともう一度話し合いをしてみました。

セックスがしたいという欲求自体は快楽からくるものかもしれないとした上で、自分にとって妻とのセックスがどれだけ嬉しいものであるか、その嬉しいと思えることが何年も実感できていないことがどれだけつらいことであるか、この嬉しいという気持ちは妻とだから成り立つものであって他人とでは絶対になしえないものであり、そして、妻にとっても二人のセックスは嬉しさに満ちているものであったはずだということをゆっくりと時間をかけて話し合いました。

妻にとってもこの「嬉しさ」という視点は盲点だったようで、深く納得している様子が見られました。

どこか子育てを責任もってやり遂げなくてはならない自分にとって、快楽を求めることが罪のように感じられていたことは否定できなかったそうです。

それでも快楽という欲のために行うのではなく、夫婦としての「嬉しさ」をともに感じ合う行為だとするのであれば、そこに罪悪感はないのではないか。そんな風に考えてみたらどうかと提案してみました。

すると妻からは「それならば」とOKをもらうことができました。

ただし、今すぐにというわけではなく、少し体調が整うまで待ってほしい。

その日はそうして話し合いが終わりました。

かくしてその一週間後、何だかいつもより上機嫌にお酒を飲む妻が、子どもたちをさっさと寝かしつけると夜になって僕の寝室へと忍び込んできました。

(子どもが小学生になったことによる生活時間の違いで自分だけが別の部屋で寝ていた。)

そうして8年のセックスレスは終わりを告げました。

月並みな話かもしれませんが、終わったあとは本当に嬉しくて涙がでてしまいました。

それに気づいたからか、妻の目も何やら潤んでいることがわかりました。

なんとなく、快楽を一番の目的としないことを自覚した上でのセックスは、今までとは少し違ったものに感じられました。

それほど多い訳では無い自らの経験を振り返ってみても、この「嬉しさ」を感じられたセックスとそうではないセックスがあることに気づきました。

愛などという乱暴なことばで説明するつもりはありませんが、少なからず、性欲や快楽を満たすために行ったセックスでは感じることのできない感情だということがわかりました。

人間とは本当に不思議で面倒くさい生き物です。

ただ欲に従って生きていれば満たされるわけではないということが、分かっているようで全然分かっていませんでした。

特効薬を期待した人には申し訳ないですが、これが我が家でのセックスレス解決方法となりました。

もし同じようなジレンマに悩む人がいるならば、何かの助けになってくれれば幸いです。